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第2回 株式会社グリーンテック東京 代表取締役 宮澤 龍平氏

Tradition Japanは薄れゆく古き良き日本の伝統、しきたりや風習を様々な角度と分野から表現し、守り続けて行く組織です。Tradition JAPAN Special Interviewでは、各方面で活躍されている方々と共に、独自の「日本」について矢作千鶴子と追求していきます。

本日のお相手

宮澤 龍平 氏 (みやざわ りゅうへい)
宮澤 龍平(みやざわ りゅうへい)氏
関連会社グリーンテック東京設立 代表取締役社長

第二回/対談のお相手は 宮澤 龍平 氏 (みやざわ りゅうへい) 元 東京ガス 社長秘書を経て 関連会社グリーンテック東京設立 代表取締役社長 慶応大学 応援団長 応援団三田会 会長から監査役就任 /海外事業経験を持ちマレーシアのマハティール首相と交遊関係にある。 世界に櫻の苗木を植樹する 育桜会の発起人

矢作:本日のお相手は、グリーンテック東京の代表取締役社長の宮澤龍平さんでございます。

宮澤:こんにちは、よろしくお願いします。

矢作:よろしくお願いいたします。宮澤さんは慶応大学の応援団長であったということで。花の応援団長という面持ちにはちょっと柔和な感じがいたしますが、応援団長はどのようだったでしょうか。

宮澤:そうですね、私は昭和37年に入って、41年に卒業したわけですけど、それでこのころはスポーツというと、もう学生野球。それも「早慶戦」というのが、もうアマチュアスポーツのメインだったんですね。

すごかったんです。そんなことで大変な盛り上がり、しかも明治40年に早慶戦が始まっていますから、歴史と伝統があるということで観客が集まる。日本全国が慶応か早稲田かっていうぐらいに盛り上がった時代なんです。
そうなると、神宮の球場はまさに満杯。どっちが勝つかって試合を応援で盛り上げる、それぞれのスクールカラーをぶつけ合う。そのために、応援団は日常の厳しい訓練もやりますしね。また同時に、奉仕の気持ちを持たなければならない。大学に対する奉仕です。それで、大学のいろんな行事に対してお手伝いをさせていただくというで、その当時は、自治会というのがあったんです。

今はもう、学生の自治会はなくなっちゃったんですが。その執行委員にもなった。学生の代表としての立場。一方、みんなをまとめ上げて応援をする。その中で、一人一人が自分を磨き上げていくという時代であり、ものすごく男気のある連中の集まりの集団だったと思いますね。

矢作:はい。一つの球場の中が、ただの野球ではなくて、大学と大学のすべての研ぎ澄まされた、スポーツだけではないわけですよね。

宮澤:そうなんです。
それが今も、私自身の体に慣れているというかな、体の隅々まで染み渡った一つの生き方にもつながってきているということでしょうかね。

矢作:早慶戦というと、その当時の花形プレイヤーというのは?

宮澤:モロキという選手がいました。これはなかなかすばらしい男で、プロに行きました。それで随分活躍しましたね。あと私の同期は、江藤省三さんがいるんですよ。彼はキャプテンで、中日に行ったかな、ジャイアンツでも活躍しましたね。今また大学に戻って、大学の監督を始めていますけどね。すばらしい選手がいた時代ですね。

矢作:そういう応援団という厳しい中で、礼節も正しく、それから愛校心もあるという宮澤さんが、卒業後は東京ガスに行かれたとお伺いしていますけれども。

宮澤:途中で秘書をやりました。

矢作:その当時、今度は愛校心から愛社心になるわけですよね。
すごいマンモスな会社だったと思うんですが、そこからグリーンテック東京の立ち上げをなさった。要するに、産みの親になるわけですね。

宮澤:まさにそうですね。これはね、当時は、工場のシステム化、計装化ということで計測機器が入ってきてね。それまでは労働集約型で体を使って仕事をやっていたわけでが、今度は、コンピューターを使ったシステムでものを生産する。そうしますと、例えば、今まで1つの工場に1,500~1,600名社員がいたが、それがまさに最終的には100名か200名ぐらいで同じ生産ができるようになるんです。その結果として人の余剰ができますよね。そういう方をどうしようかということで私の組織で預かったんです。緑化センターという組織があって、そこを任せたんです。できるだけ社内で、外注している仕事の中で自分たちでできるのは自分たちでやっていこうと。
そうすると、観葉植物あり、あるいはお庭の手入れあり、花もいろいろ人のところから買っていますね。

矢作:新しいというか、関連になるもの、それから世の中の動きと、それから、これからの展望と。

宮澤:ものすごく大きなことがありますね。ノウハウもどんどん蓄積されていきます。
そしてそれぞれの分野でプロフェッショナルになっていくわけですよ。
そうしたときに、たまたま、マレーシアのマハティールという元首相から東京ガスに対して要請があったんです。東京ガスは、液化天然ガスをマレーシアから買って、それで東京ガスの当時の社長のほうへ何とか協力してもらえないかという話があった。そして私のほうに「宮澤、こういう話があったからどうだ」という話になって動き始めた。それが初めて。それで、マハティール元首相と近い関係にあった現地のゲンティングループという財閥を紹介していただいて。そことの間で、マハティール閣下から3つ頼みものがあると。1つには、バイオテクノロジーの研究開発が遅れているんで、技術的にも指導していただけないか。2つ目、蘭の生産をやりたいけども、タイやシンガポールのように何とかマレーシアでも生産をしたい。3つ目が、リゾート開発、が始まりますね。
それが、まさにドメスティックな会社の関係会社を扱った、私に降ってわいたものですね。たまたま今言ったように、技術が内部に蓄積されていたから、その技術でいける、われわれでお受けしましょうということになって動き始めた。そこから、私自身の国際化の始まりです。

矢作:いろんな国の方には、いろんな文化がありますよね。
日本にも日本の文化がある。海外に行かれるときに、マハティール元首相を含め、いろんなつながりの中で、多分向こうの国の方が、日本に対してのいろんな感情、考えとかもあったと思うんですが、宮澤さんにとっての、日本人としてのかかわりの道というか、極みというか、その辺は何かございましたでしょうか。

宮澤:あのね、マハティールさんが日本を選んだっていうのは、東京ガスとのエネルギーのかかわり合いだけじゃなくってね、日本はいろいろ文化的にも学ぶものがいっぱい多いぞという、産業的なもの、技術的なものも含めてね。
ルックイーストという、要するに東を見ろと。東とは、日本から学べという大方針を持って来られた。
その流れの中にあってわれわれのお付き合いが始まった。だから割合最初のバリアがなかった。飛び込みやすかったですね。

矢作:向こうのほうからニーズがあった。そういう環境ですね。

ビジネスにおいても、それぞれの文化をお互いに理解しなければ駄目。お互いの文化との触れ合い、融合が必要。

宮澤:そうなんです。ですからわれわれがJVをつくれば、現地の方を雇い入れて一緒に共に働きますよね。現地のJVとも財閥とも組んで、いろいろ動きますよね。そうすると日本の文化も伝える、日本の国情も伝える、お互いに融和していくじゃないですか。

最初は、おそらく仕事のつながりですよね。でも同時に仕事だけの関係では駄目ですよね。特にマレーシアの場合はね、もともと構成がマレー人もチャイニーズもいます、インド人もいます。みんなと一緒にやっていかなければならない。だからそれぞれの文化をお互いに理解しなければ駄目ですよね。 そうすると、日今度は日本の文化との触れ合い、融合が必要なんですよ。 ですから私なんかも、イスラム教に対する理解もしなければいけない。それこそ食べることから始まって。だから食についても気にしなければいけないでしょ。
それから、それぞれの祭事。それもそれぞれに、イスラムならイスラム向けのがあるわけですよ。そういったものもつかんでいかなければならない。たまたま私のお付き合いしていた日本の大使のお嬢さんが結婚することになった。
やっぱり結婚式も対応しなければいけないし、日本的にやっぱり向こうは向こうでのセレブに会うわけですよ。しきたりも全部つかんで、理解していかなければいけないということで、自然に日常生活の中でマレーの文化を組み込んでいく。
ほかに中国人もインド人もいる。そういうことで自然に日本との国際化が進んでいくということがありましたかね。

矢作:そうですね。日本と環境的に違うわけですね。いろんな国の方々が共存しているという環境と、日本のように日本人が多いという。その中でビジネスをしていくときには、やはり日本人特有の接し方とかあるとは思うんですが、宮澤さんが工夫なさっていたところというのは、部下も含めてなんですが、どんなところでしょうか。

宮澤:この人は何人、この人は何人、ってこだわりなく、同じ仕事をする仲間であるという基本的なベースに立つんですね。同時に、心の中では、文化、それから習慣も違うわけですから、それも十分踏まえて対応していくという誰でも受け入れる柔軟さ。それと、それぞれの国について理解をしていくことね。それが必要だと思いますよ。だから私はね、マレーシアで大きなプランテーションがあったんですが、そこは中国人が中心になっていた。それを支えるマレーの人間がいて、さらにインドやバングラディッシュの人間もワーカーとしている。僕は必ず皆さんに全部あいさつして回って、頑張ってくれと言ってやっていましたね。
そうするとね、皆さんが日本人だ、ボスだという感じよりも、心遣いの中でのつながりができてくる。これがすべてだと思います。
そんなことを学びながら、いろんな国とのお付き合いもしていったということですかね。

矢作:はい。今、もう本当に世の中グローバリゼーションになってきて、どちらかというと国々の特徴の産業というよりも、分散化しているというかパーテーション、ここはこれをやる、これをやるみたいな形で、グローバルが一つのコアプレートみたいになっているような気がするんですけれども、日本人が持つ、今おっしゃったような、ねぎらうみたいな、そういうものもだんだん必要なくなってきているような気がしますが、その辺というのは、今どうですか?

宮澤:だけどどんどん変わりつつあるということでしょうかね。

矢作:たとえば海外でもオリンピックを見ていて、母国の活躍を気にしますよね。自分の中に、もうほとんど自分と同じという感覚ですよね。当然母国を応援する。

そういうことが海外に派遣で行かれた方の中にも、ずっと脈々とあると思うんですけれども、その中でほかの国々の方とうまく付き合っていくという中で、日本人としてやはりずっと持ち続けていかなければいけないという大事なところっていうのは何だと思いますか。 

宮澤:そうですね、日本人ってどうしても日本人というプライドを持つのは大事なんですけどね、島国だからそういう立地条件というか地理的な条件だからか、どうしてもまとまりやすい、と思うんです。
私の大学の福沢諭吉先生は考え方の中に、昔、「脱和入欧」という言葉を使っているんです。アジアから出して、欧州を呼び入れようということで、必ずしもアジアを排他的にということではなくて、あの当時でいえば、中国が中華民国としてどんどんどんどん成長していったという時代です。日中戦争もありまて、中華思想なんてものがあったわけですよ。
それにすべてを取り込んでいくという流れの中で、われわれとしては、中国の大きな文化も理解できるけども、ヨーロッパにも目を向けて、ヨーロッパのいいものを取り込もうと。東南アジアだけ、あるいは中国との関係だけにとどまっちゃ駄目よというのがその思想の一端なんです。
ところが、まさに、その時代、明治転換ですよ。明治の中ごろにそういうことを主張するというのはなかなか難しいことでしょ。僕は、それが今も通じておるんではないかと。

矢作:普遍的にヨーロッパの人たちは、何か、自分の国の思想とか文化とかを確実に保持しておきながらっていうのが。

宮澤:だけど、明治の時代に福沢諭吉はイギリスにも行きましたね。最初にイギリスに行き、アメリカにも行きました。それで、それぞれの文化なり、社会思想なり、あるいは医学なんかも取り込んできたんですよ。
日本はこれじゃいけないということで、世界に目を開けという主張をしたのが福沢諭吉なんです。まさにそれが今にも通じているという。

矢作:私も福沢諭吉先生のことをお伺いしようと思っていたんですが。慶応大学ということで、最初にお伺いしたときに、ああ、だから尊敬されているのかしらと思いましたが、福沢諭吉のことをちょっとかじってみると、相当すごい人生だったということで、小さいころから勉学、向上心も長けていて。多少なりとも困難がないと。その困難に負けないで、それをどうしようかっていうことで、彼の人生は始まっていくと思うんです。その中でまるで何か運命の糸に導かれるように、最初は生まれたところから、大阪から点々としながら、それがヨーロッパのほうに行く。

宮澤:先生のすばらしさには、こういう言葉があるんです。「一身にして二生を知る」。体一つにして、二つの世の中を知る。

矢作:おお。

宮澤:江戸時代から明治時代に変わっていく、ガラッと変わっていくじゃないですか。

矢作:まさに。

宮澤:でしょ。そのときに、彼は江戸時代末期に政府の使節団でアメリカに行っているんですよ。それから、明治になってからも、ヨーロッパにも行っているんです。向こうの文化を取り込んできて、いや、これは大変な落差があると。社会思想的にもね。まだ身分制度が残っているでしょ。士農工商なんていう時代じゃないですか。だけども、向こうはそういう、それは爵位とかがあったかもしれないけど、全然文化的にも社会的にも違う。それを何とか日本に取り込まなければいけないということで。彼は最後のほうで、自分は一つの身でありながら、二つの大きな世の中を経験してきたよ。その経験の中でかくあるべしということを主張してきた。
今もうITの時代。僕はついていくのが大変なんですが、これを理解しないと世の中が理解できない。
あるいは仕事もできない、何もできないという時代になってきましたね。だからその時代の違いを今、実に体感している時代で、よく先生は言っていたなあと思いません?

矢作:自分がその中に入っていると、まるで欧米に出たときの福沢諭吉のような。

宮澤:思想的。だから今われわれはしっかり海外を取り込んで学んで、自分のものにしていかなければいけない。日本はまだそういう意味では古い。もっと思い切って各個人個人の意識にしろ、海外に出て、海外のものを取り込んでくる、紹介して日本のものにしていくということが必要かなと。

矢作:福沢諭吉の場合は、いろいろなジレンマがあったわけですよね。生まれてきた所とか、それから自分の置かれている立場とか、その中で国を見られたわけじゃないですか。
国の中の矛盾とか、それから運命みたいな、それを自分の中に置き換えてそしゃくして欧米に行ったときに、日本はこういうふうに向かっていくべきだというものが見えたんではないかというふうに思いますが。

宮澤:やっぱり、はっきりと封建時代の制度の中にあったじゃないですか。
それが今度、明治政府ということで変わってきた。

矢作:変わりましたね。

宮澤:またヨーロッパは一歩進んでいるわけですよ。
だから、そういった社会につなげていかなければいけないなと。福沢諭吉の一番身近な話でいえば、男尊女卑の時代、それではいけないということをもう言っていたんですよ。今はなくなってきた。どんどんどんどん平等になっています。それをその当時から主張して、こうでなきゃ、ああでなきゃいけないということで。「天は人の上に人をつくらず」という話があるでしょう。まさに平等だよと。

ただ、生まれたときはそれぞれの親から生まれてくるわけですから、それぞれの環境になるかもしれないけど、やっぱり生まれてきて生きられる上は、皆さん平等だよ、独立した自尊でなければいけない。一人一人を自立して認めなければいけないという生き方じゃないですか。それは、なかなか社会風土の中で受けきれない時代だったんだと思いますよ。だから次々と自己主張して改革していく。そのときに彼は、何をしようかって、やっぱり塾をつくらなければいけないというんですね。慶応の時代に、江戸末期に塾をつくって集めて、政治も経済もすべてですよ。そしてあらゆる分野に人を育てて送り出しているんです。ただ政府については、またお国の力があるから、また違った分野なんですね。彼は基本的には民間ベースへ送り出していった。日本の社会経済等の構造をつくり上げていったということだと思いますけどね。

矢作:はい。きちんとした思想の中で、きちんとした意見の中で、そして広い知識の中で、グローバルに、それがきちんとした方向性を彼はもう知っていて、そして人をつくっていくと。

宮澤:基本的には福沢諭吉は過去の人じゃないかという人がいるかもしれないけど、その根底に流れる思想そのものを受け止めると、今にも通じるじゃないかと。自分の生き方の中に反映して、今流にやっぱり自分の生き方っていうものを見つけていかなければいけないなと思うんですね。だから私はもう生意気ですが、今、自分自身の生き方はそういう生き方の中で、人生をまっとうしようと思っています。

矢作:ぜひ今後ともTraditionJAPANの仲間として、よろしくお願いしたいと思います。

宮澤:僕の勝手な話ですが、矢作社長の意向の中で、僕はすばらしいなと思っているんです。日本の固有の和風の文化に目を付けた。
こんなすばらしい文化を、やっぱり世界に知らしめなければいけないじゃないかと。ただ、世の中も世界も変わってきている中で、ストレートには受けないものがあるじゃないですか。おれのところはおれのところ。だからそれは昔もそうですけど、融和しながらいったじゃないですか。

矢作:私の中では、競い合うものではなくて、良さというものを、私も勉強しなければいけなくて、日本の何がすばらしいものかって、俳句にしても、すべて文学、芸術にしてもそうなんですが、特徴があるわけで、それはそれぞれの国と競い合うものではなくて、その中で融和しながらいいというふうに、褒め合いながらというか、それは日本という国はどうなんだろうかっていう、ここを考えたときに、なかなかそういう組織がないんじゃないかなって。どうしてもお金絡みになってきている組織が多いというのが、率直な、生意気なんですが。

宮澤:そうです。私なんかもさっきお話ししたとおり、マレーシアとのお付き合いも、向こうの内閣府なんかともお付き合いもして、文化交流も含めて、経済交流、人的交流も始めましたよということはあるんだけれども、われわれは、こういう花の文化を届けようと。向こうにはやっぱり蘭の文化があるんです。花を飾る文化があるんです。ところが、花をホテルに飾っても、日本流の飾り方と基本的に違うわけね。
そこに一つの新しい文化を組み込むということはものすごく大事だと思うんです。だから、例えば、草月の家元と本当にもう私は追っ掛けやっていたんです。日本人にまれな人だということで、この人ほどすばらしい人はいないと。

矢作:拝見しましたけど、表現たるものがものすごいですよね。

宮澤:すごい、人間そのものが違うんだな。オーラが違うんですよ。
頭から生まれてくるものが違うんです。
僕だから追っ掛けもしながら、いろんな先生のすばらしいものを学んできたんですよ。例えばね、竹あるでしょ。ものすごい竹ですよ。こんな太いやつね。先生がいろいろな竹でインストレーション、飾りものをつくって発表をやるわけですよ。そこにすばらしいもの、茶室をつくったり何かしていろんな所で展示をやるんですが、そのときにね、
「じゃあ先生、我が社で竹をつくりますか」
「ばか、おまえ、竹っていうの知っているか」。
あのね、竹っていうのはね、水を吸い上げる音がするんですよ。

矢作:へえ。
どんな音がするんですか。

宮澤:何ていうかな。
本当にかすかにね。「宮澤、聞いてみろ」って言うんですよ。それで水をどんどんくれるわけですよ。だから竹っていうのは、水くんでいるでしょ。だから水をくれないと枯れちゃうんですね。

矢作:水があるところじゃないと生息しないわけですね。

宮澤:だから難しい。「だから、いいか、それだけおまえが考えている以上に水をくれないと竹は伸びねえぞ」とおっしゃるわけ。「はあ」って言った。私の会社に来て、竹を育てたもんだから、「いいか、ここんとこで聞いてみろ」本当に聞こえた。というふうに、要するに先生は、ただ生ければいいっていうもんじゃなくて、本質をつかんで、それで、それぞれを形づけるんですよ。すばらしいでしょ。

矢作:すばらしいですね。だから一長一短でこうやっているわけではなくて、もう本当に即席でやっているわけではなくて、もう植物と自分が一体になって、テーマがあって、そして空気があって、いろんなものをつくり上げていくその根底がすばらしいですね。

宮澤:先生は生け花というのは、花瓶に生けるんじゃなくて空間を生ける。だからそれぞれの空間によってみんな違うんです。

矢作:そうですね。それは日本人の持っている人とのつながりも、入り過ぎず、そして空間をつくるための着物の柄とか、相手に合わせてとか、そういう配慮っていうものが、配慮の表現が生け花なのかなって思っても過言ではないかもしれない。

宮澤:ですね。それはもうその人の個性なんですよ。

矢作:そうですね。

宮澤:価値観なんですよね。
変わっているというとおかしいんだけど、独特のね、フィーリングを持っているんです。

矢作:はい。独特な方ですから。
独特というのはもうオンリーワンですから、比べるものではない。

宮澤:私が事業をやっているときに、自分で、「宮澤さん、私にお任せください。私が全部つくります。何も言わないでください」と言うわけ。何をつくるか分からないじゃないですか。そうすると、ある提示会の中で、天井が高かったんです。そこに今言った竹をバーンと持ってきて、大きなものをつくり上げるんですよ。ところがこれが圧倒的なすばらしさでね、皆さんから大変注目を浴びたことがあります。随分長い、もう20年ぐらい前ですよ。

矢作:今はね、もう時を駆ける少年になっています。

宮澤:もう大変でしょ。だけどね、「何でおまえあんなの使うんだ」って言うから、「いや、いいです。私はもう彼に」。非常に個性的だから、皆さんの評価がいいから、「ああ、すばらしいですね」と見て言ってくれるわけですよ。全然、假屋崎さんの名前は知らないですよ。すばらしいですねって、作品そのものを評価してもらえる。

宮澤 龍平 氏 (みやざわ りゅうへい)

矢作:宮澤さんの先見の目もあったということですよね。
それがきっかけになって、彼もブレイクしたわけですからね。

宮澤:まあ、出番を使わせていただいたという意味でね。
そんなことがありました。すみません。お役に立つかどうか分かりませんけど。

矢作:もうすばらしいお話でした。

本日のお相手

宮澤 龍平 氏 (みやざわ りゅうへい)
宮澤 龍平(みやざわ りゅうへい)氏
関連会社グリーンテック東京設立 代表取締役社長

第二回/対談のお相手は 宮澤 龍平 氏 (みやざわ りゅうへい) 元 東京ガス 社長秘書を経て 関連会社グリーンテック東京設立 代表取締役社長 慶応大学 応援団長 応援団三田会 会長から監査役就任 /海外事業経験を持ちマレーシアのマハティール首相と交遊関係にある。 世界に櫻の苗木を植樹する 育桜会の発起人

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