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夏の祭りは相次いで中止に

今年はコロナで伝統的な夏のお祭りやお盆関連の行事が次々と中止になっています。

歴史的な意味を持つ夏の祭りが東京佃島にある

東京・銀座にほど近い佃地区。この辺りの歴史は16世紀末、徳川家康によって呼び寄せられた摂津国佃村(現・大阪市)などから移住した漁師たちが切り開いたとされています。「佃煮」の発祥の地としても全国的に有名。中央区などの史料によれば、盆踊りは漁師たちが摂津国から持ち込んだのが起源だといいます。

摂津の住吉神社と徳川家康

天正年間(1573- 1592年)に徳川家康が上洛。
現在の大阪市西淀川区佃にある住吉神社に参詣した際、佃村および近隣の大和田村(西淀川区大和田付近)の漁民が神崎川に渡し船で、家康一行を運んで白魚などを献上しました。
以後、両村の漁民は家康から西国海上で隠密の用を受け『大坂の陣』の際は軍船や魚の調達しました。
また、村の漁民は家康から恩賞として『全国での漁業権』を与えられました。

摂津の漁民が江戸鉄炮洲に移民

天正18年(1590年8月30日)、家康が関東下降の際、佃村・大和田村の漁夫33人に加え神主の平岡権大夫好次らは、江戸に移りました。
正保2年(1645年)幕府から下賜された漁夫らは、江戸鉄砲洲の向かいにある約180m四方の干潟を埋め立てた人口の島で永住することになりました。
この島は彼らの故郷の摂津国佃村に因み「佃」(島は「佃嶋」、村は「佃村」)と命名されました。
正保3年(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷。
摂津国佃の住吉社(現材の田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀ることで、創建されたということです。

東京佃島の住吉神社

佃島の住吉神社は昭和22年(1947年)、講組織「佃嶋氏子中」が「佃住吉講」と改称し、各町会・連合睦会と協力し、3年に一度の例祭(神幸祭)を執り行うようになりました。
一時、昭和37年(1962年)に廃止されましたが、神輿の海中渡御と船渡御は、獅子頭宮出し、宮神輿宮出は平成2年(1990年)、28年ぶりに復活し、現在でも例祭中最も重要な三年に一回の行事として続いています。ここに幟旗の浮世絵がありますが、この幟旗を立てると『ぼ〜ぼ〜』と低い呻り声のような音が聴こえて来ます。当時から、耳を澄ませて聞いていた低い音。それはまるで摂津の国から佃島に渡って来た先祖の声なのかもしれません。

※住吉神社名前変遷 (田蓑神社→田蓑姫神社→住吉神社→田蓑神社)

歌川広重『名所江戸百景』の内「佃しま住吉乃祭(佃島住吉の祭)」
幕末期の、当時はまだ行われていた海中渡御の様子。幟旗には住吉大明神と描いています。

3年に一度という時間に込める人々の思い

東京佃島に住む人々にとっての宮神輿宮出は、自分たちの先祖が歴史の中で明白なだけに、ルーツへの思いが深く強く行きている証そのもののような気がしました。90歳を超える町民にとって、生まれた時から少年時代と青年時代そして中断せざるを得なかった時代を支え、復活させた思いの人生そのものだったと思います。三年に一度……俺の祭りに次はあるだろうか。東京の中でも町のつながり家族のつながりが強いこの一帯で、伝統を支えて来たと言うお年寄りを常に大切にしています。

毎年行われるのは盆踊。残念ながら今年は中止になってしまいました。本当に寂しい気がいたします。

彼らに盆踊りと着物を見せたい

勝ち色マスク

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